10.日本の英語教育


日本の英語教育は役に・・・立つ!


1.優れた体系をもった日本の英語教育

 『2.英語は苦手!だったなら・・・』で、「中学英語からやり直す」のが実は英語習得の一番の
近道であり、そのための「教材としては教科書が最も優れている」と述べさせてもらいました。
そして、高等学校の教科書もまた中学英語で根幹をしっかりさせた方が枝をつけ葉を茂らせ、
果実をつけるために優れた体系を持っています。
私は英語をまったくしらない日本人が一から英語を学ぶ際には、教科書が最高の教材だと思
います。そして、日本の英語教育は改善すべき点もあるにせよ、
「日本人が英語をマスターするためにはとても優れたものになっている。」
と、自信を持って言えます。 

こう言うと、
「何を馬鹿なことを言っているんだ。」
と思う方が多数いるでしょう。なぜなら、「日本の英語教育は役に立たない」、あるいは「日本人
の英語力は低い」と言うのは殆ど日本人の常識になっていますから。そして
「お前が教員だからあえてそんなことを言っているんだろう。」
と思われているかもしれませんね。
でも、もしそのように思っておられるのでしたらお尋ねしたいです。

「ご自分で実際に様々な英語の教材を手にとって内容を検討したことはおありでしょうか?」

「日本人の英語力はどのように定義(または測定)されたのですか?」

 英語がとても苦手だった私は、まったくの初歩から英語を学ぶための教材を探し、実際に使 
ってみたその結果、中学・高校の教科書以上に優れた教材は無いというのが分かりました。そ
して、日本の英語教育は日本人にとってとても学びやすいものになっていることがわかりまし 
た。誰かの受け売りではなく、自分で実際に検討してその結論に到達したからこそ自信を持っ 
てそう言っているのです。

 そして、専門教科が違うとはいえ、教員の目で実際に教材の検討をした私には、日本の英語
教育への批判の多くが、「実際には自分では英語教材の研究をしたことが無い日本人」や、日
本人に英語を教えた経験が無いため、「英語をまったくしらない日本人が一から英語を学ぶ際
の難しさを知らない外国人」によってなされているように思えるのです。

また、「日本人の英語力」への評価も、なにをもって「日本人の英語力」とするのかということす
らはっきりしない、きわめていい加減な批判に感じます。


2.よくある英語教育批判と日本人の英語力への評価

 「日本の英語教育は役に立たない」という主張の代表的な根拠として、多くの人が以下のよう
なことを言います。

@ヨーロッパ諸国では数か国語を使える人が珍しくないが、日本人は英語一つ使えない。
A英語の教材に、実際には使われない表現や不自然な表現がある。

また、「日本人の英語力」への評価としては
B周辺アジア諸国と比べ、留学資格試験であるTOEFLの平均点が低い。
ということもよく言われます。かなり前のことですが、HNKの教育テレビで英語教育が取り上げ
られていたときも、このことが根拠とされていました。

確かにこれらはいずれも事実です。
しかし、「日本の英語教育は役に立たない」あるいは「日本人の英語力は低い」との根拠にす
るには、いずれもあまりに短絡的であるように私には思えます。


@ヨーロッパ諸国では数か国語を使える人が珍しくないが、日本人は英語一つ使えない。

 ヨーロッパ諸国で何か国後も話せる人が多いのも事実です。実際、私自信の経験からもドイ 
ツ語圏では英語を話せない人が珍しく,スイスなど3〜4か国語を話す人が沢山いました。

 しかし、です。ヨーロッパ諸国の言語は基本的に同じ文字と似たような文法を用いています。 
ポルトガル人とスペイン人などそれぞれが自国語を話しても,お互いに何を言っているのか分 
かる位です。つまり、お互いにとても学びやすく、場合によっては方言と言っていい位の言語な 
のです。ヨーロッパの人が「数ヶ国語を話す」というのは、我々の「数ヶ国語を話す」というイメー
ジとはかなり異なり、むしろ「複数の方言を話す」に近いのでは。日本人でも標準語と御国訛り 
のバイリンガルというのはそう珍しくありません。しかし、日本人が英語を学ぶ場合はどうでしょ
うか。文字も文法もまったく異なります。日本人にとって、実は英語はとても難しい言語なので 
す。

 また,ヨーロッパ諸国と日本とでは外国語の使用頻度と必要性もまったく違います。スイスの 
ような多民族国家の場合には日常生活で外国語を使うチャンスが非常に多いだけでなく,場 
合によっては使えないと生活に支障をきたす場合もあります。ところが、日本では日常生活に 
おいては英語を使う必要どころか使うチャンスも滅多にありません。ビジネスではいざしらず、 
日本での日常生活では「英語はお金を払わないと使えない」というのが現状なのです!

 「習得がとても難しく、しかも使うチャンスがない技能を、多くの人が習得している」なんていう 
例が他にあるでしょうか。
車の運転を考えてみてください。現在車が運転できる人はとても多いですが、それは車の運転
技術習得が比較的容易で、しかも運転できないと日常生活で支障をきたすことも多いからでし
ょう。しいて言えば、ヨーロッパの人々にとって英語を使えるというのは我々にとっての車の運
転みたいなものなのではないでしょうか。
もし、車の運転がとても難しくて習得するのに2000時間以上の時間がかかり(※注)しかも習
得しても滅多に使う機会がないというのであれば、いったい何人くらいの人が車の運転をでき
るようになっているでしょうか。

※注:日本人が英語を全く知らない状態からある程度使えるようになるまでの所要時間は、諸説あるようですが  
    2000時間説をとっている場合が多いようです。

 このように、ヨーロッパ諸国で何か国後も話せる人が多いのにもかかわらず、日本人が英語
一つできないというのは、主に言語の学びやすさと必要性の違いによるものであり、日本の英 
語教育が役に立たないという理由にはならないと私は思います。


A英語の教材に、「不自然な表現やほとんど使われない表現」がある。

  このような批判の対象にされている英語教材とは、出版社が独自に出版しているいわゆる 
「参考書や問題集」のことなのでしょうか。それとも、文部省の検定を通っている「教科書」のこ 
となのでしょうか。英語教材について検討するときには、この点に注意する必要があります。
 
 現行の中学・高校の「教科書」には「不自然な表現や殆ど使われない表現」は実際どの程度 
あるのでしょうか。残念ながら私にはどこが不自然な表現でどれが殆ど使われない表現なの 
か見分ける力はありません。しかし、こと「教科書」に関して言えばかなり少ないといいます。
また、「不自然な表現や殆ど使われない表現」はできるだけなくしていくべきでしょうが、まった
く 文法の異なった言語を理解するためには「不自然な表現や殆ど使われない表現」は初心者
段階では多少は必要なこともあるのでは。そのために意図的にそのような表現が使われてい
るケースもあるのではないでしょうか。

 「問題集や参考書」についてはどうでしょうか。これらの教材には「不自然な表現やあまり使 
われない表現」は確かにあるようです。まったく文法の異なった言語を理解するために、やむ 
を得ず必要最小限用いられた不自然な表現ならともかく、実際には全然使われていないような
表現を暗記しなくてはならないなどということは確かにバカバカしいことです。しかし、単にこれ
は「中には粗悪な内容の出版物がある」ということなのでは。

私は自分の専門教科である生物の受験用問題集や参考書には相当数目を通しています。
 生物の問題集に関して言うと、そのジャンルの専門家でなければ絶対にできないような、「難 
問・奇問」といえるような問題が載っていることがあります。
参考書でも高等学校の学習範囲を逸脱した難しい内容が記載されていたり、中身がかなり古
くなってきているものもあったりします。
英語の市販教材でも生物と同じことがあるのではないでしょうか。つまり、入試で平均点を 
低めに抑えたい、あるいは出題者が高校の学習範囲をよく分かっていないなどの理由で、誰も
できない「殆ど使われない表現」が出題され、それを問題集の編集者が「難問」として取り上げ 
るというようなことがあるのでは。 

 英語であれ、生物であれ、あるいは国語や数学であれ、多くの教材が出版されていれば中に
は不適切なものや粗悪なものが出てくるのは避けられないことかと思います。一部の教材が不
適切だからといって、全ての教材がそうであるとはいえません。
また、「日本の英語教育の是非」について教材から論ずるのであれば、出版社が独自に作って
いるため玉石混合状態が避けられない「問題集や参考書」についてではなく、あくまで「教科
書」について検討するべきでしょう。

 以上のようなことから、「英語の教材に不自然な表現やほとんど使われない表現がある」つま
り教材が不適切であるという批判もあまり的を得たものではないように思います。


B周辺アジア諸国と比べ、留学資格試験であるTOEFLの平均点が低い。

  これも事実です。しかし、TOEFLの受験者層と人数を無視して単純に平均点を比べてその 
国民の英語力の指標としていいのでしょうか。かなり前のことですが、TOEFLの国別平均点の
最高はフィリピンでした。しかし、受験者数を見てみると100人もいませんでした。おそらくこの
100人に満たない方々はまさに将来国を背負って立つエリートでしょう。その一方、日本では何
万人もの人が英語力の確認試験として受験しています。フィリピンに対抗して日本人のTOEFL
受験者トップ100人だったら、平均点は満点に限り無く近いのではないでしょうか。
 受験者が多く、言語間の距離や日常生活での必要性など、日本と似たような状況にある韓 
国との比較ならまだわかりますが、TOEFLの受験者数やそののバックグランドを無視して単純
に平均点だけを比較するのは意味がありません。

 近年はTOEFLの受験者数は公開されていないようですが、個人が制作したTOEFLの国別ラ
ンキングはWEBでよく見かけます。しかし、TOEFLを主催しているアメリカ合衆国の
(Educational Testing Service; ETSも、

「TOEFLテストスコアを元に国別のランキングを作ることはデータの誤った使用であり、テストを
作成しているETSはそれを認めていません。」
と述べています。

また、英語力以前に国語力を考えてみてください。日本よりもTOEFLの平均点が高い国の中
には文盲が珍しくない国があります。つまり,国語教育から十分とは言えないのです。国語教 
育が十分でないのに外国語教育は素晴らしい,なんていうことがあるでしょうか。TOEFL受験 
者ではなく、その国の15歳あるいは18歳全員の英語力を比較したら、日本人の英語力は周 
辺アジア諸国民に比べて決して低くないと思います。


3.疑問を感じるのは、文法ではなく発音とリスニングの指導・・・

 もちろん、理科教育も完全無欠ではないように、英語教育もより改善できる部分はあると思
います。私が疑問を感じるのは、よく批判の対象になる「文法の指導」についてではなく、「発音
とリスニングの指導」についてです。


@丸太小屋スタイル
「4.Let's speak English as NIPPONJIN !」で、日本人の我々は、「基準に近づける努力はしつ 
つ、日本語訛りで堂々と英語を話せばいい。」という私の考えを述べさせてもらいました。
さて、私達が学生の頃、いくつかの単語が並んでいる中からストレス(アクセント)の位置が違う
もの、あるいは下線部の発音が異なるものを選べ、という試験問題が必ずありました。近年減
ってきてはいますが、いわゆる発音問題はまだ目にします。

 目指すゴールは同じでも、その過程は大きな違いがあります。たとえて言うなら、私のような 
考え方は「丸太小屋型」、英語の試験問題に現れている発音習得についての考え方は「精密 
ブロック型」、とでも言えばいいのでしょうか。
つまり、とりあえず手元にある丸太(日本語ベースの発音・リスニング能力)で会話という小屋
を組み上げ、後から必要に応じて出っ張りやへこみを直していくスタイルと、精密なブロック(母
音・子音の正確な発音・リスニング能力)を作り上げ、それを積み上げて会話という建物を作る
スタイルです。

 私の経験からは、ノン・ネイティブには精密ブロックを作るのはとても大変であり、ものによっ 
ては作り上げるまで何年もかかるように思えます。たとえば、私にはRとLの音は発音はともか 
く、ネイティブとの会話の中で聞き分けることなど殆ど不可能に感じられます。
したがって精密 ブロックを作り上げることにあまりにこだわっていては、かえって肝心の家(会
話)はいつまでたってもできないのではないでしょうか。
しかし、丸太小屋であれば多少の不自由はあっても比較的早く住むことができます。そして、
実際に住みながら自分の必要に応じて不自由なところを直していく、つまり実際の会話を経験
しながら、自分の英語の必要性に応じて音声面での能力を高めていくほうが合理的なのでは
ないでしょうか。


A英語は実技教科
 発音とリスニングの指導について疑問に思うもう一つの理由は、試験の発音問題の解答能
力が、実際の発音・リスニング能力をあまり反映していないということです。

 高校の教員になってから英語の勉強を始めた時のことです。学生時代には英語には恐怖感
しか感じず、自分の英語能力にコンプレックスさえあった私は
「こんな発音問題がほとんどできる生徒は、きっとみんな素晴らしい発音をしているに違いな
い。」
と思っていました。実際に生徒と英語で話してみると、帰国子女かと思うほど素晴らしい発音を
する生徒もいました。しかし、そのような生徒は例外でした。ペーパーテストでは発音問題で殆
ど満点に近い点数をとっている生徒でも、英語で話してみると私以上に日本語発音であった
り、リスニング力も無かったりすることが普通でした。このことは当時の私にとってはものすご
いショックでした。

 なぜそのような現象が生じてくるのでしょうか。答えは簡単です。それは
「実技能力をペーパーテストで測定しているから。」
です。発音やリスニングは実際に発音できて、あるいは聞き取れてこそ意味があり、ペーパー
テストだけができるようになっても実際の発音・リスニング能力は向上しません。
再びバレーボールにたとえると・・・
「サーブの打ち方について、腕の角度やボールを打つ位置などを問うペーパーテストで満点を 
とっても、実際にサーブは打てない」のです。

 英語は実技教科です。実際に自分の身体でできてこそ意味があります。実際の発音能力を
測定できないのであれば、わざわざペーパーテストで聞く意味は無いよでしょうし、実際には発
音や聞き取りはできないのに、わざわざ発音記号を覚えてペーパーテストで高得点を取ろうと
する弊害も生んでしまうのではないでしょうか。 


4.日本の英語教育は役に立つ!

 最初に述べたように、中学・高校の英語の教科書は日本人にとって間違いなく非常に優れた
英語教材です。また音声面の指導等、改善すべき点もあるとは思いますが、よく言われる諸外
国との比較や教材に対する批判などはかなり短絡的なものが多いといわざるを得ません。

 日本の英語教育を樹木にたとえると、時代の流れのなかで枯れてしまった葉や全体のバラ 
ンスを考えると大きすぎる枝や小さすぎる枝はあると思いますが、根や幹は非常に しっかりし
たものです。少なくとも幹から切り倒してしまわなければならないようなひどいものではありませ
ん。

 日本人の多くが英語を使えないのはいわば当たり前なのであり、日本の英語教育が役に立 
たないからでは決してないのです。教材の研究も、あるいは背景の分析も何もせずに、まった
く異なった状況下にある他国と単純に比較して「役に立たない」などと言うのは、日本人が英語
を習得する難しさを克服しようとしてなされた多くの研究 の成果を無にしてしまうものではない
でしょうか。

 英語を話せるようになりたい方こそ、日本の英語教育を見直して欲しいですね




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